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お砂糖からも、植物としてのさとうきびを感じることができたなら

お砂糖はとても身近な存在ですが、お米や小麦のように「お砂糖を味わう」という感覚はあまりないのではないでしょうか。
お砂糖をそのまま食べたり、お皿に盛っていただきますと手を合わせることは一般的ではありません。


お砂糖は主食として摂取するものではなく、甘みを足したり、他の食材を引き立たせたり、抑えたり、補完したりバランスをとったりといった、あくまでも脇役の目的で使われる存在。

しかも、ほかの食材と混ぜ合わせたらあっという間に目には見えなくなってしまいます。目には見えない存在に対しては、味わうという行為自体が難しくなります。

小麦はパンというかたちに変わってしまっても小麦が主役のまま。その風味をしっかり感じることができます。
お米にしても、たとえ精米されて炊かれてしまっても、お米を味わい楽しむという感覚はしっかりあります。


一方で、一般的なお砂糖は、さとうきびの茎中に20%ほどあるショ糖を抜き出したものであり、そのショ糖には残念ながら風味はほぼありません。
また、ショ糖になりかわったことで、名前も「さとうきび」から「お砂糖」という総称に変わってしまっています。
お砂糖だけでなく、原材料でもあるさとうきびを感じることさえも遠い道のりなのです。



これらの理由から、お砂糖は単に「お砂糖」という製品としてしか認識できなくなり、自然に生きる植物が原材料だという意識も薄まってしまうのだと思います。


何かを口にして味わうという行為があって、初めてそこになにかしらの魂や感情が宿ります。
何も味わえないお砂糖なら、なんの意識や感情もわかないのは当然かもしれません。

確かに、一般的なお砂糖ではさとうきびそのものの風味を感じることは難しいです。

それでも、さとうきびの一部であることに変わりはないのです。

お砂糖の本質とは、もとを辿ればみな植物であるさとうきびに行き着くということ。
どんなお砂糖のかたちであっても、わたしたちは植物としてのさとうきびをいただいています。

お砂糖の本質をただ知っているだけではなく、意識にまで落とし込めたなら、他の食材と同じように自然とさとうきびへの思いもわいてくるのではないでしょうか。

そうなれば、きっとさとうきびも少しは報われるはず。


お砂糖を口にする瞬間は、同時にさとうきびという有限の恵みをいただくということ。

たとえ目には見えなくなってしまっても、そこには確かにさとうきびが存在しているのです